天平16年(744)に恭仁京が廃都。その大極殿は山城国分寺に施入の後、跡地は金堂として使用され、あわせて七重塔や境内鎮守社なども整えられた。そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになる。現在、大極殿跡に当時の礎石が点在し、隣接して塔跡の巨大な礎石群が広がり、その一帯は平成19年(2007)「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」という名称で国史跡に指定された。