この碑はポルトガル船の来航を記念して建てられました。口之津は16世紀にはすでに交易港として栄えていました。例えば、唐人町と呼ばれる地域の存在は、アジア大陸からわたってきた人々がいたことを示しています。しかし、ポルトガルの商船が初めて口之津に来たのは、キリシタン大名有馬晴信(1567–1612)の父、有馬義貞(1521-1577)がポルトガル商船にこの港での交易を許可した1562年のことでした。ポルトガル商船は1567年から1582年の間にさらに5回ここに寄港し、貿易だけでなく融資や武器の供給を通じて有馬藩との関係を築いていきました。1563年には、元商人のイエズス会士、ルイス・アルメイダがこの地に教会を建てました。1564年、フランシスコ・ザビエルと共に1549年に初来日した日本地区の布教責任者コスメ・デ・トーレスは、口之津を自身の活動拠点にすることを決めました。口之津がこのように非常に重要な港となったことをうけて、イエズス会のアジア地区における活動を統括していた巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父は、この場所を1579年の全国宣教師会議の開催地に選びました。 この記念碑が内陸部にあるのは、長年にわたる干拓の結果です。現在は公園になっている記念碑周辺の地域は、もともと稲作のために埋め立てられました。