原城の物語は 150 キロメートル東にある阿蘇山(1,592 m)の噴火があった 約9 万年前にさかのぼる。巨大噴火により熱気波、灰、砕屑物がかなり遠くまで飛散し、現在は有明海の外に突如立ち上がるかのように見える尾根となった。これは 17 世紀に起きた非常に毛色の異なる大惨事の基盤となった。 原城は 1604 年にキリスト教徒の有馬晴信(1567年-1612年)を君主とする有馬藩によって建てられた。キリスト教は 1549 年に日本に紹介されたばかりだったが、この地域のリーダーたちに素早く広がった。この改宗で結果的に破滅することになる。日本では1614年にキリスト教が禁教され、300年近くこの地を支配していた有馬氏は1616年に徳川幕府によって改易され、ほどなく原城は廃城となった。 この新しい藩は残酷なキリスト教弾圧を始め、北に新しい城を建てるために税を激増した。飢饉と過剰な労働に悩まされた農民たちは 1637 年に一揆を起こした。島原半島の人口のほとんどが武装して立ち上がり、島原の乱が起きた。浪士や天草諸島からのキリシタン農民たちが加わり、カリスマ溢れる 16 歳の天草四郎に率いられ、農民たちは新しい藩を相手に闘った。何度か負けた後に、女性と子どもを含む 3 万 7 千人の反乱者たちは、原城を再生し最終決戦の地とした。 反乱軍を鎮圧するため、九州各地から12万人以上の幕府軍が