1573年の小谷城の包囲と、それに続く浅井家の滅亡は、豊臣秀吉(1537-1598)が事実上、日本全土の支配者となる上での大きな転機となった。秀吉は、織田信長(1534-1582)の配下で若き武将としてこの包囲戦に参加した。信長は、日本全国の大半を自らの旗印のもとに統一した強力な武将であった。 城は、2つの尾根の間にある深い谷の上部に建てられていたため、攻撃は困難を極めた。 城下町は攻撃者を阻むように設計されていたため、直接攻撃は困難であった。秀吉が小勢を率いてひそかに山に登り、その反対には信長軍がいる状態に浅井長政(1545-1573)を追い込み敗北させた。長政は敗北を喫し、秀吉に3人の娘、茶々(1569年~1615年)、初(1570年~1633年)、江(1573年~1626年)を引き渡し、その後自害した。この姉妹たちは、その後、秀吉の死と徳川幕府(1603年~1867年)という動乱期に重要な役割を果たすことになる。 現在、小谷城に残っているのは石垣だけで、山頂まではいくつかのハイキング・ルートがある。山頂からは長浜市街を一望でき、晴れた日には琵琶湖に浮かぶ聖なる島、竹生島を見ることもできる。