大正3年に南海線七道駅近くの運河掘削工事現場から石碑が発見され、「放鳥銃定限記」と題する377文字の漢文が刻まれていました。石碑は江戸時代初期の鉄砲師範であった小濱民部丞嘉隆(こはまみんぶのじょうよしたか)の遺徳を称えて、砲術家川名金衛門忠重によって寛文4年(1664年)に作られたものです。碑文は「小濱民部丞嘉隆は文武両道の達人であり、堺の海辺に鉄砲の試射場を設け砲術の訓練と研究を重ねた」といった内容で、江戸時代初期の堺における鉄砲関連資料として大変貴重なものです。また、江戸時代の試射場がこの近くにあったこと示していて、発見当時運河の発起人柳原吉兵衛氏は、石碑を後世に伝えるために高さ約3m、幅約2mの自然石にはめ込み鉄砲記念碑として保存しました。昭和19年に堺市に寄贈され、ザビエル公園に保存されてきましたが、七道駅前整備に伴い平成2年に発見地に近い現在地に移設しました。