清水山城は16世紀後半、現在の厳原を見下ろすように、清水山の稜線に沿って築かれた細長い城だった。当時、朝鮮半島への侵攻を計画していた豊臣秀吉(1537-1598)の来訪に備え、山麓の金石城の防御を補完する目的で築かれたようである。 1590年代初頭、秀吉は国内の敵をすべて倒し、日本を統一したが、朝鮮半島を経由して明(中国)を征服することに目を向けていた。秀吉は壱岐と対馬に15万人の軍勢の渡海を助けるための駅城を築くよう家臣に命じた。各拠点には、秀吉が自ら作戦を指揮できるような城が置かれることになっていた。厳原では対馬を統治していた宗家の本拠地である金石城がそれにあたる。 清水山城は金石城を見下ろすように築かれた。山の尾根に沿った2カ所と標高206メートルの山頂に1カ所、計3カ所の平坦な曲輪と、それらをつなぐ全長約500メートルに及ぶ廊下のような部分からなる。曲輪は石垣で補強された。一の丸と三の丸は保存状態が比較的よく、入口や石垣の跡が山の上にはっきりと残っている。この2つの遺跡には、三の丸跡まで登り、そこから尾根に沿って歩くハイキングコースがある。標高約100mの三の丸からは、現代の厳原市街地や港を見渡すことができる。