紀元前200年頃から350年頃まで、壱岐国の王都であった原の辻。朝鮮半島や中国、日本本土からの商人や旅人たちと品物や情報を交換する商取引の拠点として栄えた。 原の辻は島内最大の平野に築かれ、冬は強風にさらされる過酷な場所であった。また、幡鉾川に面した大きな船着き場は集落の玄関口であり、大型船が停泊する湾から小舟で上流に向かわなければならない。このように、王都は戦略的に選ばれた場所であり、その住民であった商人や農民は政治的な判断で集められたと考えられる。 原の辻は船着き場から近づくと、まず都を囲む二重、あるいは三重の環濠を越えていく。浅い穴の上に建てられた住居、高床式倉庫、見張り台などを通り、集落の中心に向かって道を登っていく。最も高い場所には神殿があり、占師が天空の神々と会談し、未来を予言する場所であった。神殿の門は聖なる世界と俗なる世界の境界を示し、神の使いとされる鳥の置物で飾られていた。このような門が神道の鳥居の起源であるという説もある。 原の辻は4世紀半ば、交易ルートの変更もあって壱岐の国が大陸からの勢力に吸収された結果か、衰退したと考えられている。遺跡からは約300棟の基礎が発見され、1世紀から3世紀頃の建物17棟が復元されている。朝鮮半島の土器、中国の貨幣、交易に使われた銅の錘、人の顔をかたどった石などの出土品は、隣接する一支国博物館で展示されている。