今はなくなってしまった共同体の意外な定住先 姫島は人を寄せ付けないように見えるかもしれません。西海岸と北海岸は、高さ100メートルにもおよぶびっしりと詰まった柱状節理でできています。同じく岩地の南海岸はややなだらかではあるものの、この島には平らな土地がほとんどありません。しかし、姫島はかつて1797年に幕府の迫害から逃れてきた潜伏キリシタンの人々が150年以上にわたって住んでいた場所でした。高地の湧水と肥沃な火山性土壌はクワの実と食品として広く利用される自生植物ツワを育みました。エビとニシンに似た魚キビナゴ(Spratelloides gracilis)、そして数種の海藻も採集されました。明治時代(1868–1912)の初めまでに、人口は300人にまで増えました。学校とステンドグラスの窓を備えた大聖堂が建設され、1921年から1935年にかけて週三回定期船が運航されました。しかし、1955年までに、人口は81人に減少しました。このうち15人は1959年にブラジルに移住し、最後の38人は1965年についに島を離れました。今日、付近を通過する船からも、航空写真にも、彼らの存在の痕跡は見られません。1987年には、島で亡くなった人々の墓も福江島に移されました。