7世紀を始まりとする山頂の要塞である鞠智城跡地に、楼、倉、その他の建物が復元されている。継続的な考古学的発掘調査によって、72の建造物の遺跡がここで発見され、これらの遺跡から、復元の基盤ができた。この55ヘクタールもの広大な場所は、美しい自然風景、散策路を伴う公園として保存されている。 戦略的防衛のための要塞 元の要塞は、7世紀に、奈良を拠点としていた大和国家朝廷と、唐と同盟関係にあった、現在の韓国の王国の部分であった新羅との間の緊迫と紛争の最中に建てられた。その時代、鞠智城から60キロのところにある大宰府(現在の福岡県)が地方権力の拠点であった。そこで、大宰府を守るため北九州に4つの城郭が建てられ、そのうちの1つが鞠智城であった。最南にある要塞、つまり敵の攻撃から最も遠い要塞として、鞠智城はその他の城に十分な食料、武器、兵士を補給する支援的役割を果たした。 城内公園の顕著な建物 今日における、城内公園の中で最も大きく目立つ建造物は、八角形鼓楼である。この鼓楼は、望楼であり、また一種の鐘楼の役割を果たしていたと考えられており、一定の間隔で太鼓を鳴らして時を知らせていた。この鼓楼は高さ15.8メートルで、重さ約76トンの瓦屋根が載っている。近くにある高床式の米倉は、断面が三角形をした木製の部材を使って、校倉造りで建てられている。この建築法は、倉の内部の湿度調節に役立つ。また、その