瀧廉太郎(1879-1903)はわずか23歳の生涯を閉じたが、日本の近代音楽史において重要な作曲家の一人である。その短い生涯のうち2年半を竹田で過ごした瀧の作品にインスピレーションを与えた環境を再現したのが、このミュージアムである。 瀧は東京で生まれ、幼少期は父親の役所勤めの関係で全国を転々としていた。廉太郎が12歳の時、父親が現在の竹田市を含む地域の知事となり、一家は知事に割り当てられた家に移り住んだ。この建物は瀧廉太郎記念館として再建された。 畳敷き、障子、伝統的な日本庭園に西洋の品々が展示され、明治時代(1868-1912)の生活を垣間見ることができる。展示パネルは、瀧廉太郎の物語と、彼の多くの作品の背景にある歴史を物語っている。竹田滞在中、瀧は岡城跡からほど近い地元の学校でピアノの手ほどきを受けた。おそらく彼の最も有名な曲であろう『荒城の月』は、この岡城跡からインスピレーションを得て作曲されたと考えられる。記念館には瀧が作曲したいくつかの曲の手書きの楽譜が展示されている。 瀧は1901年に東京音楽学校を卒業し、同年ドイツのライプツィヒに留学した。そこで結核の大病を患い、わずか1年で帰国した。館内には、瀧が晩年を過ごした大分市での手紙も展示されている。