富士山北麓から古い登山道を通ってきた富士講の巡礼者たちにとって、御坂峠への到達は特別な感慨を伴いました。ここで巡礼者たちは道中初めて雄大な富士山を一望する景色を目にしました。この場所には富士山の領域の入り口を示す鳥居までがありました。また、河口湖に向かって下った後、巡礼者たちは北斎(1760–1849)や広重(1797–1858)の浮世絵に描かれた名高い景観、河口湖の向こうにそびえる富士山の荘厳な眺めも堪能しました。現在でも春になると、河口湖の北東岸にある産屋ヶ崎には桜の景色、湖、そしてその背後にそびえる富士山の雄姿を楽しむために多くの人が訪れます。 富士講の巡礼者たちは、しばしば河口湖を別称である船津湖と呼んでいました。船津とは船着き場のことで、河口湖においてはここが富士講の巡礼者が水行に臨んだ場所でした。この言葉は地元の地名として残っており、もっとも有名なところでは船津胎内がその代表です。