その白さが眩しい壁と金の装飾が施された青緑の屋根を持つ大阪城天守閣は、一目でわかる街のシンボルとしてそびえている。現在の天守閣は1931年に再建された3代目の天守閣である。初代の金箔瓦で飾られた天守閣は後に天下人となった豊臣秀吉(1537–1598)によって16世紀後半に建造された。秀吉によって大阪城天守閣が建造されてから30年後の1615年、一時は秀吉に臣従したものの、秀吉の死後に天下を治めた徳川家康(1543–1616)の軍勢による攻撃で焼失した。 豊臣一族の滅亡によりその脅威が去ったのち、徳川幕府は大阪城の再建を命じた。2代目天守閣は1626年に再建工事が完了したが、1665年に落雷によって再び焼失した。その頃にはすでに全国に広がっていた戦乱は鎮圧されていたため、幕府は大阪城の防衛を目的とした設備は不要と決定した。これにより、大阪城は2世紀半もの時間を本丸無しで過ごすこととなったのである。 大阪城天守閣の1931年の再建プロジェクトは大阪市長の關一(1873–1935)による都市計画の目玉となり、市民の寄付金を受けた。都市計画には本丸周辺の公園化と御堂筋通の建設も含まれていた。高さ58mの天守閣はモダンな鉄筋コンクリート造となったが、17世紀に天守閣があった頃と同じ位置、同じ石垣の上に再建された。外側から見ると天守閣は5階建てに見えるが、地下階を含めて実際には8階建てである。